子どもには「自ら育つ力」があります。「自ら育つ力」をつけていきます。そうした「自ら育つ=子育ち」を支え、応援していくという考え方を「子育ち支援」と言います(諸説あります)。
「子育て支援」と似ていますが、「子育て支援」は子どもを育てる大人が主語で、「子育ち支援」は育っている子ども自身が主語です。「ぼくが・わたしが 育つ」という感じです。
この「子育ち支援」の視点に立ってお子さんを支えながらかかわったり、育ちの道すじを見守っていくことが子育てのある時点からクローズアップされてきます。
生活のお世話をほとんどしてもらっていた赤ちゃん時代から「できる部分は赤ちゃんに協力してもらう」という育児行為と気持ちはとても大切です。
たとえば、おむつ替えでズボンをはかせる時にちょっぴり赤ちゃんに腰を上げてもらう、哺乳瓶でミルクを飲むときに赤ちゃんの手を哺乳瓶に添えてもらう、離乳食前に手をきれいに拭くときにお手ふきを赤ちゃんの前に差し出して赤ちゃん自身にお手ふきに手を乗せてもらう・・・どれもこれもほんの少しのことですが、全部大人がやってしまうのではなくできる部分を赤ちゃんにやってもらうように促しています。これらもりっぱな「子育ち支援」になっています。
もう少し大きくなってくると「子育ち支援」のイメージをしやすくなってきます。トイレトレーニングをしているお子さんがその動作をしやすくするように、おまるやトイレまでの環境を整えたり、一人での脱ぎ着がしやすい洋服に変えて行ったりするのも「子育ち支援」です。
一人でパンツやズボンの上げ下ろしをがんばって練習しているお子さんにいつまでもロンパースタイプの下着を着せていたら、がんばって育ちの階段を上ろうとしているお子さんの支えや応援にはならず、もしかしたら妨げになってしまうかもしれません。
一人でもくもくと遊びに熱中していた時期から、同年代のお友だちに関心を持つようになってくると「子育ち支援」の視点がさらに広がります。 「人とのかかわり方」「自分の気持ちや考えの伝え方」「相手の気持ちや考えの受け取り方」など子ども自身が育っていく内容が深くなってくるからです。
友だちを関わるようになってくると当然いろいろなトラブルが発生します。同じおもちゃが使いたくて取り合いになったり、もしかしたらそのおもちゃがどうしても欲しくてお友だちをどーんと押してしまうなんてこともあるかもしれません。「かして」「いいよ」「だめよ」など「言葉で伝えること」を大人は教えていきますが、なにせ必死な子どもたち。そして人とかかわることを学び始めたばかりの子どもたち。いいタイミングで、ベストな言葉を瞬時に使ってやりとりできるなんて、本当に難しいことです。
お友だちを泣かしてしまったり、逆にお友だちに泣かされてしまったり、うまく遊べなくてお母さんに怒られたり・・・うまくいかなかったり、苦い思いをしたりしながら子どもは「自ら育つ」のです。そして「人とのかかわり方を自ら学び、身につける」のです。
もしもこの過程で大人が「子育ち」をせき止めてしまったら、「子育ち」のチャンスを一つ失ってしまうことになるかもしれません。
「お友だちとケンカしないように」「お友だちを泣かさないように」という大人の側の思いが強いがために、友だちとかかわる場面を避けてしまったら、育ちにつながる苦い経験も、貴重な場面にも出合えなくなってしまいます。
「おもちゃの取り合いにならないように」という大人の側の願いが前面に出てしまったがために、あふれるほどのおもちゃを常に用意してしまったら、譲ることも、譲ってもらうことも、順番に使うことも、待つことも、一緒に遊べた時の嬉しさも学ぶチャンスがなく「子育ち」あぐねてしまうかもしれません。
幼稚園や保育園などの集団生活に入ると言葉を使いながらの「子育ち」の場面がぐっと多くなります。だからこそ大人は「子育て」において「言葉だけ」を増やそうという思いが強くなってしまいがちです。でも、人とのかかわりにおいて「増えた言葉」がすべてではありません。「考えて、心を込めて使える言葉」がとても大切なのです。
言葉を学び、増やしている過程の子どもたちは、往々にしてうまく言葉を引き出して言えなかったり、間違えて言葉を使ったりすることがあります。でもその過程が何よりも大切なのです。
「なんて言ったらいいかな」と頭の中にある言葉を思い起こしたり、「こんなとき、ママやパパはなんて言ってたかな」といつもの温かいやりとりをイメージしたり、自分の言いたいことをくみ取って、代わりに言ってくれたお友だちの話し方を手本にしてみたり・・・このように「考えた言葉」は必ず身に付きます。そして「考えた言葉」を一生懸命に「心を込めて使う」ことでその子らしい本当の言葉に育っていきます。こうした言葉ややり取りを学ぶ道のりも「子育ち」です。
もちろん、「こういうふうに言うといいよ」といったヒントや導きは大切ですし、「子育ち支援」です。でも、ちょっとそれをしすぎて、答えを示しすぎてしまうと「押しつけ」になってしまう・・・難しいところですが「考えて、心を込めて使う言葉」を育てていくときに「押しつけ」は効果が出にくく、もしかしたら子どもの気持ちをカチンコチンに固まらせてしまうかもしれません。
「この子がもっとお話しできるように」「この子がもっとお友だちや先生とりっぱにお話しできるように」・・・という親心がある熱心な親御さんは、ちょっぴり一息ついて「子育ち観察」を楽しんでいただけたら・・・と思っています。
「考えて、心を込めて使う言葉」を学んでいる途中のお子さんは、本当に豊かで、愛らしくて、素晴らしい表現をたくさんしています。ちょっぴりおかしな表現もありますが、考えている証拠です。
こんなことがありました。
ままごと遊びをしていて、家族みんなに分けてあげるだけのドーナツがなかった時の子どもたちの会話です。
この時のままごとは「何か足りない」がテーマだったようです。
ママ役:あら、困ったわ。ドーナツが3個しかないわ。おとうさん、おかあさん、子どもたちの5人いるのに。あらあら。
パパ役:なになに。ひい、ふう、みい。ほんとだ。「みいこ(3個)」しかない。
(このころ、数の数え方で、「ひい、ふう、みい」がはやっていた)
子ども①:えー。「みいこ(3個)」しかないの!?
子ども②:ほんと?「みいこ」じゃ困るよー・
子ども③:「みいこ」しかないんだったら、子どもは「みいにん(3人)」だから、子どもだけで食べちゃおうよ。
ママ役:そうね。子どもは「みいにん」だからドーナツ「みいこ」は子どもで食べなさいね。
子どもら:でも、パパもドーナツ好きでしょ。かわいそう。
パパ役:パパはいいよ。これがあるから。(ビールのつもりのカップを持ち上げる)
ママ役:まったく、パパったら・・・
ままごとはまだまだ続きました。
このままごとの一コマでも言葉のおかしな使い方が満載で、「みいこ(3個)」「みいにん(3人)」と話している子どもたちの会話にふき出したものです。
ここで「みいこじゃないでしょ、さんこでしょ」なんて訂正して回ったら、ままごとの家族団らんがぶち壊しです。言葉の誤りを訂正するチャンスをこの後にしっかりと見通したうえで、保育者は子どもたちのままごと遊びを見守っているのです。そして子どもたち同士でちゃんと正しい言い回しを伝え合っていけるように外から促し、支えていく・・・これも「子育ち支援」だと感じたエピソードの一つです。
子どもは大好きなお母さん、お父さん、身近な大人、安心してかかわれる仲間の温かい言葉のシャワーを浴びて、しっかりと「子育ち」しています。そして、子ども同士が「子育ち合っている」のです。
少しエネルギーのいることですが、「子育ちの力」をもっともっと信じて、「子育ち支援」を楽しんでみてくださいね。